人見知りの会話術:「人の記憶は鉛筆書き」

Published / by mimijiro

先日人に疲れるのは気質だった!という記事を書きました。
真夜中になると、今日の人との会話やその時の相手の表情を思い出し、頭の中で一人反省会が始まってしまいます。これも人との付き合いに疲れる一因です。

たとえば先週の金曜日。パート先の同僚とこんな会話がありました。

「やっと週末ですね!」
「いや〜。実は今週、土曜当番なんですよ。」
「あ。そうでしたか。あと1日が長いですね。」
「ほんとに。まあ、平日に振休取れるから通院とか助かるんですけどね。」

このやりとりを、何気ない立ち話のように感じる人も多いのではないでしょうか。

みみじろーは、夜中にふと思い出して”土曜出勤のことまで考えなかった。うっかりして無神経なこと言っちゃったよ。もう1日出勤しないといけないのに、申し訳なかったなぁ”と悩んでしまうのです。

別に相手の方が不愉快な顔をしたわけではありません。ですが、話をした時の少し疲れた表情が引っかかってなんども考えがループします。

こんな時は、先日も紹介した脳科学医が教える他人に敏感すぎる人がラクに生きる方法(高田 明和 著)で見つけたお気に入りのフレーズを、自分に言い聞かせるようにしています。

人の記憶は「えんぴつ書き」である
「わざわざ謝るというのは、えんぴつで書かれた記憶をボールペンで上書きするようなものですよ」
これは、私が妻から言われた言葉です。
細かいことをいつまでも気にしてしまう私は、自分のしたことで相手に嫌な思いをさせたのではないかと考えると、気になって仕方がなくなってしまいます。普通の人ならば、いやな思いをしてもそのうち忘れてしまうはずと考えるでしょう。しかし、超過敏の人は気軽にそう考えることはできないのです。気分はどんどん重くなり、ついには謝ったほうがいいのではないかという気持ちになってくる。
(中略)
「せっかく消えるものを、消せない状態にするのと一緒ですよ」
そうです。人間の記憶なんて所詮曖昧なものですし、小さなことは忘れるようになっている。それなのにわざわざ謝るというのは、相手に不快なことを思い出させ、記憶を強めて忘れないようにするのと同じなのです。
脳科学医が教える他人に敏感すぎる人がラクに生きる方法(高田 明和 著)

言葉の選び方に気配りは必要ですが、同じ言い方でも人によって受け取り方はいろいろ。お互い意見があわず少し気まずい雰囲気になる時だって避けられないものです。

相手が不快だったかどうかさえわからない。一瞬「ん?」という表情を浮かべただけで、その会話自体を思い出しもしないかもしれない。そんなひとつひとつのやりとりに、ずっと悩み続けなくてもいいのかもしれません。

だって人の記憶は「えんぴつ書き」。これからも自分に言い聞かせて、最小出力で人とお付き合いしたいと思うのです。

自分自身に対しても「あの受け答えはまずかった」となんども自問自答し、記憶の中の失敗を重ね塗りしてしまいがちなみみじろー。できれば自分の記憶も「えんぴつ書き」にしたいものですね。